歴代社長の人柄~私って誰似?
取締役社長
木谷 孝俊

 リレー随想が遂に私に。折角の機会ですから木谷家・木谷商店のルーツ及び、歴代社長について私なりに述べさせて頂こうかと思います。
先ず木谷家ですが改めて調べてみると私が七代目当主であることが分かりました。初代・耕作から木谷家がスタートし、孝作・孝太郎・孝太郎・孝重・俊之と脈々と受け継がれている事の重みを感じずにはいられません。
流石に耕作・孝作に関しては資料が見つからないので割愛させて頂きます。
木谷商店初代社長であります孝太郎(慶応3年生)には作次郎・義十郎という兄弟がいました。
孝太郎は『灰を買って、灰汁(あく)を売る商売(染料染色用薬品)』を1886 年(明治19 年)に金沢市木倉町(写真)にて創業しました。創業から現在に至るまで染色用薬品卸売を事業の柱としているのは伝統継承と言えば響きは良いですよね。(因みに作次郎は辻作次郎商店初代社長であり、戸車を発明したと記されています)
二代目孝太郎(婿殿)、晩年には私も幼少ながら面影が。常に茶の間に座り、時にはお茶を・・・お茶人でしたね。そして、この孝太郎さんの奥様(花子)が『豪快・豪傑!』。今では当たり前となりましたが女性社長になっていてもおかしくないでしょうね。(お茶人孝太郎さん=辻亮一さん、豪快豪傑花子さん=蚊谷八郎さんが継承しているのかな?)
三代目孝重、私にとっては御爺ちゃん(孝重からすると本来なら可愛い初孫)ですが、可愛がられた記憶は一切ありません。軍人経験もあることから躾から礼儀作法、ありとあらゆることを厳しく叩き込まれました。外には優しく穏やか、身内には厳しくと言った方でした。社員も相当絞られたと聞いています。
四代目俊之(婿殿)、花子&孝重、萎縮する社員の調整役として苦労が絶えなかったそうです。社内外問わず悪口を聞いたことが無い程、人情味にあふれた父親でした。今でも言われるのが『頭脳・運動神経・男前!』3拍子揃ったとは、この方の事を言うのでしょう。何一つ私は受け継いでいないのが残念です。
仕事に関しては一切触れず、歴代社長の性格を私感で記載しました。130年にも続く木谷商店、『歴史と重み』を受け継ぎ、歴代に負けないよう精進致します。
因みに、私って何代目に似ていますかね~。

 

派遣交換学生月例報告 3月分
交換学生氏名 織田  梓
(アメリカ)CatoRC

○健康状態
1 度体調を崩しましたが、1日中寝たら治りました。まだ少し雪が残っていますが、日も長くなり、少しずつ暖かくなり、元気に暮らしています。

○通学・勉学状況
ドラマクラブの劇がありました。劇でキャストをするのは初めてだったので緊張しましたが、それ以上に演じることを楽しめました。亡くなったお化け役だったので、衣装は全て白色で、顔も白く化粧をし、髪も白色スプレーで白くしました。また、地方のテレビ局が取材に来るので朝の4時に起きて準備したりと、タフな一週間でしたが、普段と何もかもが違い濃い貴重な時間を過ごしました。私にとって、最初で最後の劇で、来年の劇に参加できないことがとても悲しいです。劇に誘ってくれたホストシスター、先生、そして、ドラマクラブのみんなに感謝しています。Trac のシーズンが始まりました。毎日たくさん走って大変ですが、とてもいい運動です。Trac にはいろんな種目があります。私は以前にやったことがないのでどの種目に適しているのかまだわかりませんが、いろいろ試してこれから見つけていきたいと思っています。今は、discuss,triple jump に挑戦しています。

○家庭生活に関して
ホストシスターとホストブラザーの誕生日パーティーがありました。親戚などみんなが集まりました。いとこたちがみんな幼くて、とても可愛いです。特に2歳の女の子は可愛すぎます。私は、兄二人に、いとこたちもみんな年上なので、今までこんなに子供たちに囲まれたことがなっかたので、子供好きの私にとっては天国です。

○ロータリーなどの行事参加に関して
特に何もありませんでした。

○見学、旅行
Berber Camp に参加してきました。これは、youth group の行事の1つです。雪がたくさん降ったので、みんなでソリ滑りをしたり、雪合戦をしたりとたくさん遊びました!毎日、朝の3時ぐらいに寝ていたのでハードでしたが、とても楽しい週末を過ごしました。朝の3時まで何をしていたかというと、みんなでラマのパズルに取り組んでいました。これがまた難しく完成出来なかったのが残念です。また、みんなキリスト教なので食事前などにはお祈りをしたり、バイブルを読んで勉強をしたりしました。identity とは何かなど話し合いました。とても奥深く、興味深い話でした。ice hocky に連れて行ってもらい、初めて見ました。選手たちが壁に激突したり、ぶつかりあったりなどは日常茶飯事らしく、私にとっては驚きでした。また、スケートがうまくできない私にとっては、どうやってあんなに早く氷の上で走れるのか不思議でなりませんでした。

○感想、新たに発見したことなど
飛行機の帰る日程が決まりました。JTB の担当の方とメールをしていて、もう帰る日の話をしなくてはいけないと思うととても時間が経つのが早く感じます。家族、日本の友達に会えるのはとても楽しみなのですが、逆にこちらの家族、友達とお別れしないといけないと思うととても寂しいです。残りの数ヶ月、プロム、卒業式、縦断旅行、など楽しみなことがたくさんあります。思いっきり楽しみたいと思います。

 

国際ロータリー第2610 地区 2018-2019 年度のための 地区研修・協議会

 4月22 日、富山県民会館にて、2018-2019 年度のための地区研修・協議会が開催されました。開会にあたりホストクラブ会長よりお言葉があり、その後、富山市長のご挨拶では最近、人間関係の稀薄さ、社会が劣化しているなど今一度日本を取り戻してほしいといった話や皆さんの活動が大事で奉仕を尽くすことが社会に尽くすことだと思いますとのお言葉をいただきました。下口幸雄ガバナーから、クラブの多様性や会員増強に力を入れて欲しいなどのご挨拶をいただき若林啓介ガバナーエレクトからは2018-2019 年度 RI会長テーマ『インスピレーションになろう~ BE THE INSPIRATION ~』から地区活動方針『ロータリーを知ろう、知ってもらおう』のご説明があり特にインスピレーションの解釈は「事を起こす現動力または仕掛け人」とのお話でした。引き続き基調講演で「ポリオ撲滅への道、これまでとこれから」との題目で第3ゾーンEPNZC 松本祐二様からは、国連の事務次長になられた日本人で中満 泉さんは2016 年11 月27日に東京で開催された財団100 周年記念シンポジウムにパネリストとして参加された時のお話をされ中満さんが私もRC 財団奨学生として、1983-84 年にフランスに留学させていただきました。その後1989 年にUNHCR ジュネーブ本部に就職し、東京勤務を経て、1997- 99 年にUNHCR 職員とミャンマー北西部ラカイン州で活動しました。その後、2000 年に国連UNHCR 協会の設立に伴い、国際公務員からNPO 職員に転職し、国連の難民支援活動を後方から支える募金・広報活動に従事してきました。とのご紹介や1980 年代に始まったポリオ撲滅活動です。ポリオ撲滅を共通の目標として、ロータリーは、世界保健機関(WHO)とユニセフとのパートナーシップを結びここまでの経緯や撲滅まであとわずかとのお話をいただきました。その後、八木圭一朗次期ロータリー財団副委員長は財団の活用方法などの説明をされました。日本青少年交換研究会金沢会議実行委員会について北川雅一朗次期委員長が金沢会議についての詳細説明をされました。会議Ⅱでは、ガバナーラペルボタン伝達でバッジ交換をされ次期地区協議会ホストクラブは金沢ロータリークラブと発表後野上兵一会長エレクトのご挨拶をいただき全員で『手に手つないで』を歌い閉会となりました。
ご出席者の皆様、お疲れ様でした。

(記 中島 史享)