いしかわの情趣~昭和30年代の風景~
大友楼 第6代当主 大友 圭堂氏が昭和30年代にNHKラジオにて当時の北陸での四季折々の楽しみ方を語りました。その原稿をピックアップして皆様にご紹介いたします。

北陸に鉄道のかかるまで
昭和34年7月26日
NHKラジオにて

 北陸で、と言っても金沢が中心ですが、一番最初に汽車を通す話が出たのは、明治13 年(1880年)ですから今から約80 年前です。
どうしてこの話が出たかと言うと、明治の維新という大改革があっておよそ10 年、この間非常な経済変動があったんです。これまでの武さむらい士が貰った米の禄が、公債に直して貰うようになった。それを武士(さむらい)は資本(もとで)にして商売を始め、或いは投資をした。そこへ経済変動が来て、金禄公債が1,200万円余り出たものが、明治13 年10 月1日調べによると642 万円余りに減ってしまっている。
俄かに貧乏した武士は、可愛い娘は芸妓に売る、自分は家々の門口に立って扇で顔を隠して小謡を唄って、銭を貰ってその日暮らしをする。下手な商売のことを「武士の商法」と言われた時はこの時なんです。それで、士族の三分の一は完全失業者で路頭に迷うようになってしまったのです。
そこで、当然起こってきたのは士族の救済事業です。その時金沢に政治結社で精義社というのがあって、関、古屋、疋田という方が、旧藩主の前田家を訪ねてこの相談を始めた。
前田家では、家職の北川、寺西、岡田が面会して、士族救済と北陸発展のために鉄道というものを建設したらどうだ、これが一石二鳥の名案だ、という話が出た。これが初めて出た鉄道の話であります。
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その後、計画は3回も挫折しましたが、明治26年から建設することになって、今北陸線の中心をなす金沢駅は31 年4月1日より開業した訳です。しかし金沢駅の汽車は一日午前3回、午後2回より出ない淋しいものでした。何しろ汽車に乗ると景色がグルグル廻って、電信柱が後ろへ飛んで行く、何と不思議なもんだろうと首をかしげた時代でありました。丁度今年は60 年目に当たります。
こんなお話を申し上げるにつけても、この鉄道をかけるにつけて殆ど全財産を投げ出して努力された下積みの人、金沢の豪商森下八左エ門様、富山県の久保彦兵衛様等に、北陸の人は心から感謝しなければならない訳であります。

(記 加藤 敏彦)

 

Matthew FELIX君送別会

 昨年8月に来日した、国際ロータリーの交換学生マシュー君(通称マット君)があと二週間で帰国の途に着く。
とても素直でシャイな男性だった。野菜が嫌いだけれどカレーライスが好きで、日本食にも慣れようと努力していた。学校では多くの友達も出来た。彼の生真面目な性格がとても好印象だった。
今日は、ホストファミリーと会長、幹事、委員会メンバーがささやかな送別会を開催した。学校の校長先生、担任の先生も駆けつけてくれた。先生は、なんの問題もない事が問題かもしれないと言われるほど真面目で多くのクラスメイト達に愛された生徒だったと仰っていた。
高校生の多感な時期に海外の文化に触れ、全く違う他人と一緒に生活する経験は、彼の人生に大きな影響を与えるだろう。単に、語学が上達するだけではなく、大きな視点で世の中を見る目は、様々な価値観を許容し、将来国際的に活躍してくれるものと期待している。
6月21 日に帰国の途に着くが、日本との架け橋になってくれれば幸いだ。マット君またいつでも戻っておいで。日本はあなたの第二の故郷になったのだから。

(記 長野 幸浩)

 

世界の名作家具
vol.8 カッシーナ社:バレル アームチェア

 最初のバレルチェアは1904 年、マーチン邸の為にフランク・ロイド・ライトがデザインしました。1937 年にこの椅子がジョンソン邸のために作られた時に、ライトはタリアセンにある自分の居間用としても12 脚作り愛用しました。バレルチェアの魅力は、柔らかなフォルムと相まった、木の仕上げの美しさに尽きます。カッシーナ社の工場では、塗装する前のサンディングに1本当たり数時間を費やします。熟練した職人の手による丹念な仕上げが、バレルの美しさを生み出しています。ニューヨーク近代美術館 所蔵作品(¥420,000)