いしかわの情趣~昭和30年代の風景~
大友楼 第6代当主 大友 圭堂氏が昭和30年代にNHKラジオにて当時の北陸での四季折々の
楽しみ方を語りました。その原稿をピックアップして皆様にご紹介いたします。

兼六園の生いたち
昭和40年2月25日
NHKラジオにて

 およそ名所と言われているところは、景色が良いというばかりでなく、そこにある一本一石にも由緒があったり珍しいものであったりして、深みと身近な親しさを感じさせて、一層その景色が生きてくるものであります。
場所は金沢城の東南にあって、約三万五百坪、北に向かって傾斜した地面で百万石の前田藩主が高い識見と趣味、財力をもってつくりあげた、当時の武士の風格の一面を表しているものであります。
時々、兼六園はいつ出来たかと聞かれるのですが、それぞれが追々と長い歳月の間に出来て一度に出来たものではありませんので、大体現在のようなかたちが出来たのは文政即ち百五十年程前のことで、文政五年に松平定信により兼六園と名付けられましたので、その頃出来たといってもよいと思うのであります。
眺望台からは、遠く能登宝達、末森山を一望、河北潟の水が白く見え、近くには卯辰山、流石、加賀百万石の大名、自分の庭先に能登の山々や河北潟までを取り入れた手法、その規模の雄大さは、その貫禄を示すに十分な庭園であります。

(記 馬場 康行)