いしかわの情趣~昭和30年代の風景~
大友楼 第6代当主 大友 圭堂氏が昭和30年代にNHKラジオにて当時の北陸での四季折々の
楽しみ方を語りました。その原稿をピックアップして皆様にご紹介いたします。

金沢方言のいろいろ
昭和43年6月7日
NHKラジオにて

 金沢は昔の百万石の城下町として、地方では人口も多く、城下町にふさわしい文化をもっていましたが、今とは違って関西や関東との交通が不便で、当時の都会とは交流が少なかったので、地方なりの言葉、即ち方言がそのまま温存され、比較的に昔のまま今も残っている事が珍しいと思います。今日でも土地の人同士が気軽に話し合っていると、何の事か意味が分かりかねる言葉が多いです。
「近頃は車が激しいさかい、ニャニャ気をつけさっせ、ヨーサリは危ないぞー、ダラな目におおと損じゃさかい」
と云うように、「ニャニャ」は娘さんで中国から来た言葉と云われており、「ヨーサリー」は夜になってという古い言葉、「ダラ」は馬鹿な事で語源が不詳ですが、土地の私共にはさほど耳障りとも思われない言葉であります。
例えば赤ん坊は「ネンネ」、少し敬って「タンチ」、小さな女児は「タァーボ」で、もしもそれが人形の時は「タボサ」となるのです。青少年の息子になると「アンカ」「アンサ」「アンマ」ですが、敬称の時には「アンサマ」となって「マ」の字がつきます。
自分の妻を「ヂャ」と云ったり「ヂャーマ」と云ったりしますが、この「マ」の字は敬称ではなく、先の「ダラ」ですが「ダラマ」となると馬鹿者めという意味で敬称ではありません。
虫の名前で面白いのは、蠅で必ず「ハイボボ」と云うので、ハイで良いのをボボをつけるので、他国の人が「加賀のハイにはボボがつく」というのは此の事です。
割合に少ない食事関係の言葉で、中間食は「コビル」、夕食は「ヨナガ」と云っており、昭和の初め、芥川龍之介さんが兼六園の滝の上の宿に泊まった時、女中相手に無雑作の話の間から拾った方言で歌を詠んだことがあります。
「早うらと 夜ながを食べて 今日もまた おいその山を見ているわれは」
「夜なが」は夕食で、「おいそ」は遠く離れた所で、方言入りの歌として初めてのものかと思うのであります。
言葉になまりはつきものですが、出所のわからないものとして「ハンチャボ」「ヘイロク」「コヂンボフル」「バライタ」「ダッチャカン」「インニャ」「クンツネンズ」「オ
テッペ」「ゴキミッサン」「ガマな奴」等があります。
否と否定する時は「ナーン」「ナーモ」と云ったりするが、そうですかと肯定する時は「ソーキ」或いは「ホーヤ、ホーヤ」と云うように、出所・出典は中々わかりませんが、これらの方言は極めてゆったりとして、語調の速度が遅いのであります。それはかつての社会事情が自給自足の経済であるために、生活に急ぐ場合が少なく、言葉も全体が遅いのと、丁寧な言葉づかいが多くなっていって方言も早口ではない点は、よく城下町らしい気風をだしております。

(記 浜上 洋之)