82年前に思いを馳せて

 82 年前の1935 年(昭和10 年)4月17 日、金沢ロータリークラブは設立されました。前年金沢市長になった片岡 安氏と金沢商工会議所会頭の中島 徳太郎氏の呼びかけで、日本における17 番目のクラブとして、本多 政樹男爵を初代会長に会員22 名で発会しました。スポンサーは大阪ロータリークラブです。同年6月19 日に国際ロータリーから登録番号3841 番をいただき、世界ロータリーに承認されました。
しかし、当時の社会情勢の中、アメリカ色の強い諸団体への制約は厳しくなり、1940 年(昭和15年)解散することになりました。終戦後1948 年(昭和23 年)に水曜クラブを結成しロータリー復帰への思いを育んでいました。そして、1950 年(昭和25 年)、県商工会議所会頭 西川 外吉氏を初代会長に会員32 名で発会、戦前と同じ登録番号で金沢ロータリークラブは再出発しました。1950 年(昭和25 年)5月8日金沢ロータリークラブ復帰のチャーターナイトが湯涌温泉白雲楼で開催されました。全国各地からの会員、家族など100 余名の参加で、式典、能楽堂での能楽鑑賞、舟遊び、魚釣り、夕刻からの会食、さらにダンスパーティーと賑やかに開催されました。
その後、節目の年には周年事業を開催して来ました。幾多の先輩ロータリアンの、良き親睦と奉仕の精神でロータリー活動が継承され、今年4月17 日に創立82 年を迎えます。会員は116 名となりました。82 回目の創立記念日に、先輩の活動に思いを馳せたいと思います。

(記 山岸 晋作)

 

観桜会2017

 「…木立際の道を抜けると、緑色の天鵞絨(びろうど)を敷き詰めたやうな広い芝生へ出て来た。高台にあるその庭からは、うねり曲がって流れた川が、一ト目に見渡された。飛騨境の山脈が、遠く晴れた空に淡蒼く重なりあって、白い水がその裾から流れてくるように見えた。そしてその山と川との広い自然の姿を背景として、庭園が作られてあった…(中略)…私たちは庭を横截って、瀑の音の轟きわたる下の方へ、険しい路を降りて行った。南画風の景色が、至処に漂へられてあつた。私は深い林泉の際を縫って、山を降りたり、渓間を辿ったりした。…」
〜徳田秋声「菊見」(大正6年) 本庭園の描写より〜

夜間例会「観桜会」は、会員伴侶18 名、交換学生1名、総勢96 名での開催。例会を経て、写真家・映像・作曲家であるモリ川ヒロトー氏の作品「桜夢譚(さくらむたん)」の上映とピアノ即興演奏から、にしの仁美さんの篠笛「おぼろ月」へとつなぐ孤高の開宴となりました。辻会長の冒頭挨拶と兼六桜での乾杯後、にし芸妓衆による艶やかな「元禄花見踊り」「さわぎ」が披露されると、場は一転して賑やかな雰囲気に。趣向を凝らしたお料理を堪能しつつ、余興の利き酒へ。親睦委員会肝いりの最終章は、ソムリエ谷村秋乃氏と司会仲谷委員の掛け合いで大いに盛り上がります。藤澤親睦委員長が本年度の感謝を述べ、締括り、全員輪になって「手に手つないで」を斉唱すると、楽しい宴も敢え無く散会となりました。

(記 辻 匡)

 

石川第1分区IM開催

 IM(Intercity Meeting) とは都市連合会と訳される。近隣都市数クラブが集まって開かれるロータリーの会合。討論の主な内容は、4大奉仕部門をカバーしつつ、ロータリーの特徴やプログラムなどを検討する。クラブ会員、全員参加のこの会合の目的は、会員相互の親睦と知識を広めることであって、さらに、会員にロータリー情報を伝え、奉仕の理想を勉強するために開催される。決議や決定はない。(用語便覧2008 より)
13:30 より石川第1分区A石森ガバナー補佐の開会宣言、そして岡部ガバナーの点鐘により開会されました。本年度地区活動方針である「語り合おう ロータリー」のもと、6つのテーマに分かれ、それぞれのテーブルにて会員同士の議論が始まりました。
① 未来のロータリーを築く為に(規定審議会決定事項を踏まえて)
②魅力有る例会創り(企画と運営)
③自己研鑽(人格・専門性・自身の向上)
④親睦(友情と豊かな人間関係の醸成)
⑤職業奉仕(専門性)
⑥青少年育成(ふるさと創生と未来)
それぞれのテーブルコーディネーター指導のもと、積極的な議論は続きました。最終的なテーブル毎の発表ではそれぞれのテーブル持ち時間2 分を大幅に超えて発表する方が殆どと成ったのは議論の濃さの表れでしょうか?
最後に地区研修リーダー中尾パストガバナーより講評を頂き閉会、引き続き懇親会へと移り有意義な一日を終えました。

(記 八木圭一朗)