いしかわの情趣~昭和30年代の風景~
大友楼 第6代当主 大友 圭堂氏が昭和30年代にNHKラジオにて当時の北陸での四季折々の
楽しみ方を語りました。その原稿をピックアップして皆様にご紹介いたします。

石川県を観光客に紹介
昭和36年10月29日
NHKラジオにて 大友

 私共のふるさとは、美術の王国と云われ、陶器や漆器・染物などの美術工芸が、藩政の初めから前田家の庇護を受けてよく発達して参りました。こうした美術品の中心をなすものが、絵画-絵の美術ではないかと思うのであります。今日はその絵画について、又藩政の初めに郷土の生んだ画家の「長谷川等伯」と「俵屋宗達」についてのお話です。
さて、藩政前の絵画となると、実に少ないもので中々現在まで残っておりません。又その記録や文献も少なくて、今から何千年以上も前に朝廷から加賀の国に孔子と顔回の画像を作るよう命ぜられたと云う事でありますが、その絵も現存していないようであります。
藩政の初めの頃になりますと、画家として立った立派な人が出るようになりました。
この一人に能登七尾の生んだ有名な画家で、長谷川等伯という人がいて色々な作品を残しております。郷土史家 富田景周(トミタカゲチカ)という人が書かれたものに「文禄・慶長の頃に等伯が居り、通称を久六といい、その家は代々染物屋であったが、等伯の代に画家として立ちまして、京都に上り太秦の広隆寺に滞在して、狩野派の画を学んだ人である。後に長谷川派と世間からいわれる程の一派をなした有名な画家であって、法眼という画家の位をもらった人だ。」とされています。
この等伯に劣らぬ人で俵屋宗達(本姓・野々村)という画家がほとんど同じ頃におりまして、能登の人とも、加賀の人とも言われております。
宗達は昔から有名ではあったが、大正3年4月東京上野で、宗達の約250 年の記念会が開かれPRされて以来、彼の装飾的な色彩の強い作品は、光琳派の遡源をなすものだと非常に注目されました。昭和32 年9月に東京日本橋のデパートで、光悦・宗達・光琳三人の展覧会が開かれた時、宗達と光琳が描いた同じ「風神雷神図」が同じ会場に並べられた際、宗達の図が断然勝れていて、その時こそはっきりと、宗達の真価が世間から認められたのでありました。二人ともに伝記は明らかで無いので、まだまだこの二人は研究すべき人であります。ただ郷土の人であることは間違いなかろうと思います。そして二人ともに、加賀藩政時代の初期に出て、日本絵画に不滅の光を残した人々であります。
等伯は伝統に生き雪舟や牧谿の真髄を得て長谷川派の一派をたて、宗達は日本画に新様式をたて今日は世界の画家といわれるほどになり、光琳派の先駆けをなした人であります。 今から約300 年以前に咲いた、輝かしい画壇の花であります。

(記 浜上 洋之)

 

国際奉仕委員会 夜間例会

 国際奉仕委員会の担当で、3月15 日に金沢ニューグランドホテル4F・金扇にて夜間例会が開催されました。
国際奉仕委員会は、他国の人々を助けることを目的としたクラブ事業の企画・活動を通じて、少しでも相互の国際理解、親善、平和を推進することに貢献するために、タイのナコンシーRC との共同事業である浄水器設置プロジェクトをはじめ、ロータリー財団・米山記念奨学会への協力・支援を通して、国際奉仕活動を実践しています。
竹内拓也副委員長の司会にて、松崎充意国際奉仕委員長の開会挨拶の後、「金沢RC 国際奉仕の取り組みについて ~タイ浄水器設置プロジェクトに向けて~」と題して水上慎太郎副委員長から報告がありました。
前半では、国際奉仕の位置づけ確認の後、米山記念奨学事業、ロータリー財団についての説明、国際奉仕に対する金沢RC の過去の主な取り組み事例の紹介がありました。
後半では、タイの浄水器設置プロジェクトについて、2610 地区内でグローバル補助金が初適用になったこと、昨年6月にナコンシーの小学校5校に浄水器を設置した時のエピソード紹介を交えながら、熱のこもった説明がなされました。
そして、今後の活動についての説明、来月のタイ訪問の募集告知等を行い、最後にベストショット写真の披露をもって報告を終えました。その後、懇親のひとときの末に、新家久司国際社会・財団・米山委員長の挨拶をもって和やかに閉会となりました。

(記 横山 信太郎)

派遣交換学生月例報告 3月分
交換学生氏名 中村 陶子
(アメリカ)タラハシRC

○健康状態
良好です。

○通学・勉学状況
フラッグフットボールのトライアウトがありました。無事にチームに入ることができました。本格的にシーズンが始まり、平日は月曜日から金曜日まで放課後15 時から17 時半まで練習があります。その他にも試合や資金集めの活動など、これから忙しくなっていきそうでわくわくしています。サンドバレーボールのシーズンも同じ時期で、両方のスポーツをしたいなと、そっちのコンディショニングに行ってみたり、いろいろな人に相談したりとしてみたのですがなかなか全てを同時にというわけには行きませんでした。最後のシーズンはフラッグフットボールに集中してちゃんと試合に出れるように頑張りたいと思います。また2度目の時間割変更をしました。どのクラスにも楽しい友達がいたのでとても悲しかったのですが、生活のバランスが崩れかけていたので止むを得ず変更しました。今はもう美術史のクラスをとっていません。かわりに1限目はメディアセンター(図書室)に行ってそこで事務の手伝いをしたり、空いた時間には友達と話したり課題をしたりしています。宿題はまだ他の生徒のようにとはいきませんが自分なりに頑張っています。数学では文章題は翻訳機が必要ですがあまり苦労していません。テストもだいたいいつも満点をとれます。フランス語は少しずつ難しくなってきて、以前よりも宿題に時間をとられてしまっています。英語ではこの第3学期にArthur Miller のThe Crucible (日本では“るつぼ”という本で知られているみたいです)を読みました。わからないところは友達や周りに聞きながらもなんとかクラスで読み切ることができました。クイズやテストは先生が私だけ問題数を少なくしてくださったのですが、それでも8割,9割の高得点をとることができました。課題もホストマザーに助けてもらいなるべく全て提出できるように取り組みました。地理は頑張っているもののあまり思い通りに進みません。友達も助けてくれるのですが、テストの点数に結びつきません。もっと時間をかけるべきなのですが、なかなかうまくいきませんでした。1日が48 時間だったらいいのにと日々思います。春休み明けは課題にかける時間とテストの成績にもう少しこだわって頑張りたいと思います。

○家庭生活に関して
サンドバレーボールをフラッグフットボールと掛け持つかどうかをめぐって、家族と何度も何度も話し合いをしました。ちょっとした言い争いになったときもありました。それまでは家族と衝突しないようにしてきたのですが、スポーツのことに関しては諦められませんでした。なんとか家族を説得しようと、コーチや友達、カウンセラーにも相談して、学校の課題など他のことにもより力を入れて、できることを全てしました。最終的には私の思い通りには行かず、悔しい思いをしましたが、自分なりにあの手この手と粘ったことに後悔はしていないし、正直自分の行動力にも驚いています。そしてファミリーときちんと話すことは大切だなと思いました。数ヶ月前まで他人だった人たちと価値観や考え方の違いがあるのは当たり前のことで、話さない限りわかってもらえないしわからないものだなと感じました。

○ロータリーなどの行事参加に関して
ロータリーの行事はありませんでした。近いうちにまた例会に行くかどうかという話を家族と話しているところです。

○見学、旅行
FSU のバスケットボールのゲーム観戦、シューティングに連れて行ってもらいました。初めて本物の銃で的を撃つという体験をしました。持っているだけでも重たくて、撃つたびに体に伝わる衝撃が少し怖かったです。日本ではなかなかできない貴重な体験だったと思います。またホストファザーの親戚を訪ねて車で2時間半ほどの海が綺麗な街に行きました。その近くには仲の良い留学生が2人滞在しているので一緒にショッピングや映画に行くこともできました。

 

3月11日 茶道同好会『早春茶会』

 まだまだ寒さが残る3月11 日( 土)、高岡町の「つる幸」に於きまして、茶道同好会『早春茶会』が行われました。今回の茶会では辻亮一会長自らが亭主を務められ、ご婦人方を含め20 名の参加となりました。また、点前はひがしの唐子さん、お運びをひがしの芸妓衆が務めるなど華やかな茶会となりました。
本席では蚊谷会員の書「遊神」が掛けられ、美しい牡丹が生けられた「青磁不遊環」の花入が使われるなど遊び心を取り入れた会長心尽くしのおもてなしを受けることが出来ました。辻会長は裏千家茶道を学ばれていますが、茶杓は小堀権十郎、茶碗は表千家九世了々斎を使われるなど、流儀にとらわれない金沢らしい取り合わせとなっていました。
広間に席を移したお食事では茶懐石風のもてなしを受け、普段の宴会等の会席とは違った食事のスタイルに楽しみながら学びの多い会となりました。こちらでもお給仕を芸妓衆が務められました。

(記 大島 広士)

 

第3回(最終回)職業奉仕についての勉強会の実施

 職業奉仕についての勉強会が3月8日(水)金沢ニューグランドホテル4F「羽衣」にて18 時30 分から20 時30 分まで開催され、第二回に引き続き「職業奉仕」についての理解をより深めるため、松本 大職業委員長の司会のもと熱い意見交換が行われました。最終回は職業人のためのロータリー道徳律の章から読み進め、国際奉仕の概念の導入や世界大恐慌の時期に制定された四つのテストなどの成り立ちを学びました。「ロータリアンの職業は、利益を得るための手段ではなく、その職業を通じて社会に奉仕するため」の例え話として、「靴屋の仕事をしている95%の人は儲けるために、5%の人は自分の仕事が他の人のためになるなら…」のテキストの記載について、サービス業であるホテル業界の興津会員と同じくサービス業である銀行業界の景浦会員では相対する意見がでるなど、又、奉仕哲学における幸福の正三角形においては、白石会員は、娘を嫁にやる親の気持ちとわかりやすい表現に置き換えられるなど白熱した議論が交わされました。この貴重な職業奉仕の勉強会を通して、伝統あるロータリーの歴史の深さをまさに思い知らされ、そのようなクラブに所属している意義を認識し、今後の自己の職業に生かさなければと改めて考えさせられる良い機会でした。

(記 山田 康二)