時代を映すサラリーマン川柳
第一生命保険株式会社
金沢支社長
一石 敏勝

 第一生命といえば、サラリーマン川柳。歴代の優秀作品をご紹介して皆様にもこの20 年を懐かしく、振り返っていただければと思います。平成3年作品から、「ボディコンを無理して着たらボンレスハム」「一戸建て手が出る土地は熊も出る」この頃、一戸建てへの憧れは相当だったのですね。平成6年「連れ込むなわたしは急に泊まれない」「耐えてきたそういう妻に耐えてきた」名作2編です。平成10 年「茶髪だめ言うなあんたも白髪染め」慣れって恐ろしいですね。今では黒髪のほうが珍しい。平成12 年「出来ちゃった結婚しちゃった飽きちゃった」出来ちゃった婚はこのあたりから多くなってきたのでしょうか。平成16 年「課長いる?返った答えはいりません」「妻の声昔ときめき今動悸」管理職にとって、つらい時代がどんどんやってきています。
平成17 年「オレオレに亭主と知りつつ電話切る」オレオレ詐欺はこの頃から?「ウォームビズふところ常にクールビズ」クールビズは定着しましたねえ。ここ数年の中で私的には大ヒットです。平成20 年「減っていくボーナス年金髪愛情」「ごみだし日すてにいかねばすてられる」お父さんの悲哀がますます現実に。平成22年「先を読め言った先輩リストラに」「こどもでも店長なのにと妻嘆く」こども店長っていうCM ありましたね。ちょっと悲しいですね。平成23 年「何になる子供の答えは正社員」夢の無い時代になってしまいました。
安部総理頑張ってくださいと本当に言いたくなりますね。昔のようにゆとりを持って笑える川柳が多くなることを願っています。

米山記念奨学生 倪 斯然さん歓送会

 2月20 日午後7時より、国際社会・財団・米山委員会による本年度米山奨学生 倪 斯然さんの歓送会が、辰川会長、新家幹事、吉田パスト会長(米山委員)、藤澤国際奉仕委員長、北中委員(米山カウンセラー)、多田委員、松村委員、ゲストの御影金沢大学大学院教授、財団米山副委員長白石の出席で大友楼にて行われました。
辰川会長のあいさつ、藤澤委員長の乾杯の後、倪 斯然さんの恩師である御影教授が、彼が先日その研究分野であった生薬(漢方薬)についての論文で、めでたく学位(博士号)を取得されたことについての報告と、金沢ロータリーの米山奨学制度に対する感謝の言葉をのべられました。
宴会に入って、漢方治療や薬学、西洋医学と東洋医学、日本と中国の文化の違いなどなどで話は大いに盛り上がりましたが、最後に倪 斯然さんから金沢ロータリーに対する感謝の言葉と、今後のことなどについて( しばらくは金沢大学で研究を続けるそうです) のあいさつがあり、新家幹事からの、今は難しい時代だが中国と日本をつなぐ懸け橋になってくださいとの締めの言葉でお開きとなりました。
歓談中に、今度は御影教授と倪 斯然さんにペアで卓話をお願いしようという話が出るなど、和やかなよい会となりました。

(記 白石 晃一郎)

第4回クラブ協議会開催

 2月20 日(水)例会後、ニューグランドホテル「銀扇」において第4回クラブ協議会が開催されました。辰川会長の挨拶のあと議事に入り、松崎会計から上半期の収支決算は順調に推移しているとの報告がありました。新家幹事から「辰川年度においてもう1回程度、委員会補助による委員会活動を開催してもらいたい。」との説明がありました。
また、今後の行事の変更・追加として、5月22 日(水)18:00 ~ のチャリティーオークションで、今年は物品のオークションを行わないことと、5月29 日(水)例会終了後、職場見学で宝達志水町「参天製薬・能登工場」を訪れるとの説明がありました。協議会は滞りなく進行し、散会となりました。

(記 北川  真)