4月17 日は創立記念日です

 1935 年(昭和10 年)4月17 日、金沢ロータリークラブは、大阪ロータリークラブをスポンサーに設立されました。前年金沢市長になった片岡 安氏が大阪ロータリークラブの会員だったことから、片岡氏と金沢商工会議所会頭の中島 徳太郎氏の呼びかけで、日本における18 番目のクラブとして、本多 政樹男爵を初代会長に会員22 名で発会しました。同年6月19 日に国際ロータリーから登録番号3841 番をいただき、世界ロータリーに承認されました。
しかし、当時の社会情勢の中、アメリカ色の強い諸団体への制約は厳しくなり、1940 年(昭和15 年)残念ながら解散することになりました。終戦後1948 年(昭和23 年)に水曜クラブを結成しロータリー復帰への思いを育でいました。
そして、1950 年(昭和25 年)再び大阪ロータリークラブをスポンサーに、県商工会議所会頭 西川 外吉氏を初代会長に会員32 名で発会、戦前と同じ登録番号で金沢ロータリークラブは再出発しました。
1950 年(昭和25 年)5月8日金沢ロータリークラブ復帰のチャーターナイトが湯涌温泉白雲楼で開催されました。全国各地からの会員、家族など100 余名の参加で、式典、能楽堂での能楽鑑賞、舟遊び、魚釣り、夕刻からの会食、さらにダンスパーティーと賑やかに開催されました。
その後、節目の年には周年事業を開催して来ました。幾多の先輩ロータリアンの、良き親睦と奉仕の精神でロータリー活動が継承されて、今年4月17 日に創立77 年を迎えました。
創立70 周年記念大会の大会長であった辻 作次郎氏は、式辞で次のように言われています。「様々な苦難な状況にあって先輩ロータリアンを動かした情熱や理念、友愛や奉仕の精神を偲び、ありとあらゆる知恵を絞り、更なる発展へ踏み出す、本日はそんな節目でありたい。」4月17 日、77 年目の創立記念日に、先輩の活動に思いを馳せたいと思います。

(記 村本 道廣)

 

バッファローRC 会長からの書簡 

2012 年4月7日

金沢ロータリークラブ
会長 大友 佐俊 様

バッファロー・ロータリークラブのメンバーを代表して、この度の金沢市とバッファロー市の姉妹都市締結50周年の素晴らしい機会をお祝い申し上げます。
また、私達、バッファローRC ならびにバッファロー・サンライズRC からの金沢市への贈り物を金沢市長に受け取っていただけるよう、本日、金沢市長にお越しいただけたことについても感謝申し上げます。

金沢市とバッファロー市のそれぞれのロータリークラブ間の関係は、1972 年にバッファローで金沢からの交換学生を受け入れ、また私達の子供達が貴方々の美しい街を訪れたことから始まります。双方のクラブの多くの会員や若者達が関わってきました。これらの素晴らしい記憶をよみがえらせる多くの写真を私達のファイルから見つけることができます。

バッファロー・ロータリークラブは、バッファロー歴史的建造物の裏に位置するミラー湖に、日本庭園を造る役割を果たしました。1965 年5月20 日に「ロータリーの道」にバッファロー・ロータリークラブからバッファロー市への周年ギフトとして、179 本の日本桜が植えられました。そのとき、金沢ロータリークラブは、バッファロー・ロータリークラブへ鳥居と石灯篭(ことじ灯篭のレプリカ)を贈り、「新たな理解と姉妹関係への架け橋ならびに門」としたのです。
これらはすべて「ロータリーの道」に備え付けられ、最近の私達の会報にこれらの経緯が紹介されました。

今回、この永きにわたる姉妹関係を、この私が改めて確かなものにできることを光栄に思います。皆様方の益々のご発展をご祈念申し上げ、またバッファローにお越しの際には是非、私どもの例会にお越しくださることを願っております。

ロータリーの奉仕の精神の基に;

バッファロー・ロータリークラブ
会長
ロナルド・カルーソー

 

バッファロー・ロータリークラブの会報(2012 年3月29 日)からの抜粋

 6月にバッファロー市と日本の金沢市は姉妹都市締結50 周年を祝います。
バッファローRCは金沢市と初期の段階から関わってきました。
バッファロー・サンライズRC も金沢市との関係を作りつつあります。
バッファロー・サンライズRC は金沢香林坊RCと姉妹クラブを締結しました。
<「バッファロー市にある日本庭園と金沢市ならびに金沢ロータリークラブとの歴史について」はバッファロークラブ会長からの手紙に記載されているため、こちらでは割愛>
1972 年に私達は金沢からの交換学生を受け入れ始め、そのうちの何人かについては当時の新聞にも記事が載っています。
私達の事務所の過去のファイルを見返してみると、多くの会員が派遣・受入双方の大勢の学生達とともに関与してきたことが見て取れます。
1975 年、ラリー・マターとエレイン・マター夫婦は、金沢から来た上森雅世(当時、石室雅世)さんをホストしました。この春、2人は2012 年4月18 日に執り行われる50 周年祈念式典に出席し、また上森さんに会うために日本を訪れます。
ラリーはバッファローRC ならびにバッファロー・サンライズRC からの贈り物を金沢市に贈呈する予定です。献辞は姉妹都市関係に携わってきたバッファロー・サンライズRC 会員のミチイ・タカオ氏によって日本語で施されています。また、上森雅世さんは当日、交換学生としての体験について簡単なスピーチをしてくれる予定です。

 

派遣交換学生月例報告 3 月分
交換学生氏名 長野 由依
ホストクラブ(アメリカ)Watkins Glen

○健康状態
虫歯が出来てしまいました。あとはこの間、 原因が何かはわかりませんでしたが、腹痛がひどかったです。
○通学・勉学状況
最近はホストマザーが運転することが多いです。今は、部活でテニスをしているので帰りはホストシスターの運転する車で帰ってきています。中国語のテストが一足早く終わりました。結果はかなり良かったので嬉しかったです。
○家庭生活に関して
毎日凄くにぎやかです。この家に来て会話をする機会が増えたと思います。ホストマザーにも、よくしゃべるようになったねと言われました。他の留学生の子にも英語うまくなったねと言われて嬉しかったです。
○ロータリーなどの行事参加に関して
Avon weekend がありました。久しぶりに皆に会えたので嬉しかったです。weekend host family の人がとてもいい人でした。私が日本食が凄く恋しいと言ったら、なんとわざわざ日本食レストランに連れて行ってくれました。とても美味しかったです。
○見学、旅行
特にどこか遠くに行ったりはしませんでした。
○感想、新たに発見したことなど
学校の劇に参加しました。ホストシスターが参加していたので、半ば強制で参加させられたのですが、最初は正直すごく嫌でした。ちゃんと歌える自身もなかったし、何より舞台なんて小学校6 年生のバトンの発表会を最後に一度も立ってなかったので、あまりしたくありませんでした。けど、参加したお陰で色々な人と仲良くなれたし、よく喋るようになったし、何より友達も増えました。劇の公演も無事に終了し、とても楽しかったです。今では参加して良かったと思っています。留学も残り約3 ヶ月くらいになってしまいました。
最近は本当に時間が経つのが早く感じます。あともう少しで自分の誕生日だなんて信じられません。英語は話せるようになってきたけど、まだまだだと思うのでもっともっと頑張ろうと思いました。